アジア地域の医療ツーリズム:タイ

タイはアジア太平洋地域における医療ツーリズムの主要な目的地として2000年代以降に台頭してきました。過去20年間で、同国の医療ツーリズム産業は著しい成長を遂げ、世界中の患者から注目を集めています。この記事では、タイの医療ツーリズムの経緯や現在の状況、成功の要因、現状、そして今後の展望について詳しく見ていきます。

目次

医療ツーリズムの発展の経緯

タイの医療ツーリズムは、1997年のアジア通貨危機を契機に本格的な発展を遂げました。経済危機に直面したタイ政府は、外貨獲得と経済回復の新たな手段として医療サービスの国際化に着目しました。この戦略的転換は、タイの豊富な観光資源と比較的低コストで質の高い医療サービスを組み合わせることで、独自の価値提案を可能にしました。

2004年、タイ政府は「アジアの医療拠点」構想を正式に打ち出し、医療ツーリズムを国家戦略の一環として位置づけました。この構想の下、政府は積極的な施策を展開しました。具体的には、医療機関の国際認証(JCI)取得支援、外国人向けビザ規制の緩和、医療従事者の語学研修プログラムの拡充などが実施されました。これらの取り組みにより、タイの医療機関は国際基準に適合したサービス提供体制を急速に整備していきました。

民間セクターも政府の方針に呼応し、積極的な投資を行いました。バムルンラード病院をはじめとする大手私立病院は、多言語対応の医療スタッフを採用し、空港送迎サービスや通訳サービスを導入するなど、外国人患者のニーズに特化したサービスの開発に乗り出しました。これらの取り組みは、タイの医療サービスの国際的な評価を高める上で重要な役割を果たしました。

2000年代後半には、タイの医療ツーリズムは新たな段階に入りました。医療機関は単なる治療サービスの提供にとどまらず、タイの観光資源を活用した「治療+リゾート」パッケージの開発に着手しました。この革新的なアプローチは、特に中東や欧州からの患者誘致に大きな成功を収めました。例えば、心臓手術後の回復期間をビーチリゾートで過ごすプランや、健康診断と観光ツアーを組み合わせたパッケージなどが人気を博しました。

2012年には、タイを訪れる治療目的の外国人患者数が253万人に達し、医療ツーリズム産業の急速な成長が顕著となりました。この成功を受けて、タイ政府は2017年に「医療ハブ戦略(2017-2026)」を策定しました。この新戦略では、従来の治療型医療から予防医学やウェルネス分野への拡大を図り、産業の多角化を推進することが目標として掲げられました。具体的には、高度医療技術の導入、医療IT基盤の整備、医療人材の育成強化などが重点施策として挙げられています。

現在の状況と規模

2023年時点でのタイの医療ツーリズム市場規模は29億米ドルに達し、グローバル市場において重要な位置を占めています。市場調査機関の予測によると、この市場は2030年までに年率42.9%という驚異的な成長率で拡大すると見込まれています。この成長率は、世界的な医療ツーリズム市場の平均成長率を大きく上回っており、タイが業界のリーダーとしての地位を確立していることを示しています。

タイの主要病院における外国人患者の割合は全体の30-45%に及び、一部の病院ではさらに高い比率を示しています。例えば、バンコク病院では年間85万人の患者のうち25万人が外国人であり、その割合は約30%に達します。この数字は、タイの医療機関が国際的な患者を惹きつける能力を持っていることを如実に物語っています。また、タイでは株式上場している医療機関もあり、外国人患者の集客に向けた広告活動も幅広く行われています。

タイの医療機関の国際的な評価を裏付けるものとして、国際医療機能評価機関(JCI)の認証取得施設数が挙げられます。タイはASEAN諸国の中で最多となる60以上の施設でJCI認証を取得しており、これは医療の質と安全性に関する国際基準を満たしていることを示しています。この認証数は、アジア地域全体でも中国、インドに次ぐ規模であり、タイの医療サービスの高い品質を国際的に証明するものとなっています。

タイの医療ツーリズムの強みの一つは、高品質な医療サービスを比較的低コストで提供できる点にあります。例えば、米国と比較して膝関節置換術の費用が半額以下であるなど、コスト競争力が際立っています。この価格優位性は、特に保険でカバーされない選択的治療や自費診療を求める患者にとって大きな魅力となっています。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックは、世界中の医療ツーリズム産業に大きな打撃を与えましたが、タイも例外ではありませんでした。国境封鎖や渡航制限により、2020年から2021年にかけて外国人患者数は大幅に減少しました。しかし、タイ政府と医療機関の迅速な対応により、感染対策を強化しつつ医療サービスの提供を継続することで、業界の回復力を示しました。

パンデミックからの回復期にあたる2023年、タイ政府は医療目的専用ビザ(90日滞在可能)を新設するなど、制度面での整備を継続しています。この新ビザは、長期の治療や療養を必要とする患者にとって大きな利点となり、タイの医療ツーリズムの競争力をさらに高めることが期待されています。

2024年には、タイ政府は200万人の医療ツーリズム客受け入れを見込んでおり、これによる経済効果は約1000億バーツ(3400億円)に達すると予測されています。この目標達成に向けて、政府は医療インフラの整備、医療従事者の育成、マーケティング戦略の強化など、多面的なアプローチを展開しています。

医療ツーリズムの顧客

タイの医療ツーリズムの顧客層は多様性に富んでおり、それぞれの地域や国の特性に応じたニーズを持っています。主な顧客層は以下のように分類されます:

主要な医療機関

タイの医療ツーリズムを支える主要機関には、それぞれ特徴的なサービスや専門分野があります。
以下に代表的な医療機関の詳細を示します:

バムルンラード国際病院

バンコクに位置するバムルンラード国際病院は、タイの医療ツーリズムを牽引する最大手の私立病院です。1980年の設立以来、国際的な患者に焦点を当てたサービスを展開し、タイの医療ツーリズムの象徴的存在となっています。

同病院の最大の特徴は、多言語対応の充実したサービスです。150名以上の医療通訳者を常駐させ、11言語での対応が可能となっています。これにより、言語の壁を感じることなく、世界中の患者が安心して治療を受けられる環境を整えています。施設面では、高級ホテルのような快適な入院環境を提供し、患者の療養生活の質を高めています。

バンコク病院グループ

バンコク病院グループは、タイ最大の民間医療ネットワークを展開しており、国内に43の医療施設を有しています。この広範なネットワークを活かし、タイ全土で統一された高品質の医療サービスを提供しています。

国際患者向けのサービスも充実しており、各国から診療を受ける患者をサポートするためにタイ語以外でのカルテ作成、食習慣に配慮した食事の提供などを行っています。

サミティベート病院

サミティベート病院は、予防医学に特化したサービスで知られています。同病院の総合健診パッケージは、特にEU諸国からの受診者に人気があり、外国人患者の40%以上を欧州からの患者が占めています。

サミティベート病院は救急医療の分野でも先進的な取り組みを行っています。救急ヘリコプターによる国際搬送システムを整備し、周辺国からの緊急患者の受け入れや、遠隔地での事故や急病に対する迅速な対応を可能にしています。この取り組みは、タイの医療ツーリズムの範囲を広げ、緊急時の医療サービスにおいても国際的な信頼を獲得することに貢献しています。

ヤンヒー国際病院

ヤンヒー国際病院は、美容整形と性別適合手術の分野で国際的に高い評価を受けている専門機関です。年間1万2000件以上の形成外科手術を手掛けており、その実績と技術力は世界的に認められています。

同病院の強みは、最新の美容医療技術と経験豊富な専門医チームの組み合わせにあります。例えば、非侵襲的な美容治療から複雑な再建手術まで、幅広い施術に対応しています。また、性別適合手術においては、心理カウンセリングから術後のケアまで、包括的なサポート体制を整えています。

安全管理においても、ヤンヒー国際病院は高い基準を維持しています。ISO 9001認証を取得した品質管理システムを導入し、施術の安全性と品質の向上に継続的に取り組んでいます。この厳格な品質管理体制は、海外からの患者に大きな安心感を与え、同病院の国際的な評価を高める要因となっています。

今後の展望

今後の成長戦略として、以下の3つの方向性が注目されます。

第一にデジタル医療の統合です。タイ政府は2025年までに遠隔診療プラットフォームを全国展開する計画を発表しており、VR技術を用いた手術トレーニングやAI診断支援システムの導入が進んでいます。

第二に精密医療の推進で、ゲノム解析を活用した個別化治療に注力する方針が国家戦略に明記されました。

第三に地域格差の解消が課題となっています。バンコク首都圏に医療資源が集中している現状を改善するため、2024年にプーケットで総合医療センターの建設が開始されました。一方で、地元住民の医療アクセス確保とのバランスが議論されており、外国人患者から徴収する特別税の導入案が検討されています。

国際競争力維持の観点から、2026年までに医療従事者の英語力基準をCEFR B2レベルに引き上げる人材育成プログラムが進行中です。これらの取り組みを通じ、タイが掲げる「アジアの医療ハブ」としての地位確立が期待されています。

<参考文献>
1. Statista. (2024). Medical tourism in Thailand – statistics & facts.
https://www.statista.com/topics/12559/medical-tourism-in-thailand/
2. Bumrungrad Hospital Public Company Limited. (2023). Annual report 2023.
https://market.sec.or.th/public/idisc/en/Viewmore/fs-r562?searchSymbol=BH
3. Bureau of Trade in Services and Investment. (2020). Medical Hub Policy of Thailand: Recommendations and Operational Integration.
https://www.dlsu.edu.ph/wp-content/uploads/pdf/research/journals/apssr/2020-December-vol20-4/13-Medical-Hub-Policy-of-Thailand.pdf
4. Hindustan Times. (2022, May 19). Thailand to attract more foreigners by promoting medical tourism post-Covid-19.
https://www.hindustantimes.com/lifestyle/travel/thailand-to-attract-more-foreigners-by-promoting-medical-tourism-post-covid19-101652955589115.html
5. EurASEANs Editorial Board. (2024). MEDICAL TOURISM IN THAILAND: QUALIFIED HEALTHCARE OR JUST ANOTHER BUSINESS STRATEGY AND MARKETING
https://euraseans.com/index.php/journal/article/view/694
6. The Nation Thailand. (2024, February 6). TAT targets 3.8 million medical tourists under 20-year strategy.
https://www.nationthailand.com/thailand/economy/40020951
7. Santasiri, S., et al. (2021). Public health policies and health-care workers’ response to the COVID-19 pandemic, Thailand.
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8085624/
8. Thailand Board of Investment. (2023). Thailand’s Medical Hub of Asia.
https://agora.mfa.gr/infofiles/BOI-Medical&Pharma%20Industry_Thailand%20th.pdf

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