マレーシアは、アジア太平洋地域における医療ツーリズムの主要な目的地として急速に台頭してきました。過去10年間で、同国の医療ツーリズム産業は著しい成長を遂げ、世界中の患者から注目を集めています。この記事では、マレーシアの医療ツーリズムの過去10年間の状況、成功の要因、現状、そして今後の展望について詳しく見ていきます。
医療ツーリズム発展の経緯
マレーシアでは1990年代後半から政府の政策によって医療ツーリズムの促進がされてきました。
- 1998年
マレーシア政府が医療ツーリズムを推進するための国家委員会を設立。これは保健省、観光省、マレーシア私立病院協会（APHM）、マレーシア航空、マレーシア観光協会などの代表者で構成されました。 - 2000年代初頭
政府が医療ツーリズムを重要な経済成長分野として認識し、積極的な推進を開始。この時期、プリンス・コート・メディカル・センターやグレンイーグルス病院などの私立病院が外国人患者の受け入れを本格化しました。 - 2005年
マレーシア・ヘルスケア・トラベル・カウンシル（MHTC）が設立され、医療ツーリズムの促進と規制を担当。MHTCは、マレーシアを「アジアの医療ハブ」として位置づけるための戦略を立案し実行しました。 - 2009年
政府が「経済変革プログラム」を発表し、その中で医療ツーリズムを12の国家重点経済分野の一つとして位置づけ。これにより、医療ツーリズムへの投資が加速しました。 - 2010年代
医療ビザの導入や税制優遇措置など、外国人患者受け入れのための環境整備が進められました。例えば、医療目的の訪問者に対して6ヶ月の特別ビザが導入されました。 - 2011年
MHTCが保健省の下に正式に設立され、より強力な推進体制が整備されました。この年、医療目的の訪問者数が58万人を超え、前年比47%増を記録しました。 - 2013年
「マレーシア国際ヘルスケアトラベルEXPO 2013」を開催。1300名以上の医療観光産業における主要投資者が集まり、医療ツーリズム業界の交流を促進しました。 - 2014年
マレーシアの民間病院が「IMTJ Medical Travel Awards 2014」で複数の賞を受賞。グレンイーグルス・クアラルンプールが「年間国際病院賞」を、インペリアル歯科専門クリニックが「年間国際歯科クリニック賞」を、プリンス・コート・メディカル・センターが「年間国際不妊治療クリニック賞」を獲得しました。 - 2015年以降
イスラム圏からの患者誘致に注力。ハラール認証を受けた医療サービスの提供や、イスラム教の慣習に配慮したサービスを強化しました。KPJヘルスケアグループやサイム・ダービー・ヘルスケアなどの大手医療グループがこの分野でリーダーシップを発揮しています。
過去10年間の状況
政府による政策実施により、マレーシアの医療ツーリズム産業は2010年代に入ってから急速な成長を遂げました。
2011年から2019年にかけて、外国人患者数は着実に増加し続けました。2011年には641,000人だった外国人患者数は、翌年2012年には728,800人に増加しました。2013年には881,000人とさらに増加し、2014年には882,000人とほぼ横ばいでした。2015年には若干減少して859,000人となりましたが、2016年には再び増加して921,000人に達しました。2017年と2018年には100万人の大台を突破し、2019年には過去最高の1,220,000人を記録しました。この9年間で外国人患者数は約2倍に増加し、マレーシアの医療ツーリズム産業の急速な成長を示しています
この成長は、収益の面でも顕著に表れています。医療ツーリズムからの収益は、2015年の9億5400万リンギット（約2億100万米ドル）から2019年には17億リンギット（約3億7400万米ドル）へと、わずか4年間で約2倍に増加しました[8]。
2015年から2019年にかけての年間複合成長率（CAGR）は16.3%に達し、マレーシアの医療ツーリズム産業の急速な発展を示しています[6]。
成功の要因
マレーシアの医療ツーリズムの成功には、いくつかの重要な要因があります：
1. 政府の強力な支援
マレーシア政府は、医療ツーリズムを重要な経済成長分野と位置づけ、積極的に支援しています。2009年にはマレーシア・ヘルスケア・トラベル・カウンシル（MHTC）を設立し、医療ツーリズムの促進と規制を一元化しました[7]。
2. 高品質な医療サービス
マレーシアの医療機関は、国際的な認証を取得し、最新の医療技術を導入しています。これにより、世界水準の医療サービスを提供することが可能になっています[2]。
3. コスト競争力
マレーシアは、先進国と比較して医療費が大幅に安いにもかかわらず、高品質な医療サービスを提供しています。これは、特にアジア諸国からの患者にとって大きな魅力となっています[4]。
4. 地理的優位性
マレーシアは、アジア太平洋地域の中心に位置し、多くの国からアクセスが容易です。特に、インドネシアからの患者が多いのは、地理的近さと文化的類似性が要因となっています[8]。
5. 多言語対応
マレーシアは多民族国家であり、医療スタッフは英語、マレー語、中国語など複数の言語に対応できることが多いです。これにより、外国人患者とのコミュニケーションが円滑になっています[7]。
6. 観光との相乗効果
マレーシアは、美しい自然や豊かな文化を持つ観光地としても人気があります。医療と観光を組み合わせることで、患者とその家族にとってより魅力的な選択肢となっています[5]。
医療ツーリズムの現状
2020年以降、新型コロナウイルス感染症（COVID-19）のパンデミックにより、マレーシアの医療ツーリズム産業は大きな影響を受けました。しかし、パンデミック後の回復は予想以上に早く、業界は急速に立ち直りつつあります。2020年の医療観光客数は68万9000人に減少しましたが、これには渡航制限前に入国した患者や、マレーシア・マイ・セカンドホーム・プログラムの下で滞在していた人々も含まれています[6]。2022年には、医療ツーリズムからの収益が2億8600万米ドルに達し、マレーシア・ヘルスケア・トラベル・カウンシル（MHTC）の目標である1億7000万米ドルを大きく上回りました[8]。2023年の上半期だけで、医療ツーリズムからの収益は1億9000万米ドルを記録し、2019年の記録に匹敵するか、それを上回るペースで成長しています。
主な医療サービスの内訳は以下の通りです：
- 腫瘍学：4億8920万米ドル（2024年推定）
- 整形外科治療：4億4590万米ドル（2024年推定）[4]
患者の出身国については、インドネシアが最大の市場となっており、全体の70〜80%を占めています。その他の主要な国々には、サウジアラビア、UAEなどの中東諸国、オーストラリア、日本、シンガポール、イギリスなどが含まれ、イスラム教徒、仏教徒、ヒンドゥー教徒、キリスト教徒など異なる宗教の人々が訪れています。
今後の展望
マレーシアの医療ツーリズム産業は、今後も着実な成長が期待されています。以下に、主な予測と展望をまとめます。
1. 市場規模の拡大
マレーシアの医療ツーリズム市場は、2024年から2034年にかけて年平均成長率（CAGR）14.6%で成長し、2034年には75億4000万米ドルに達すると予測されています[4]。
2. 経済波及効果
2024年には、医療ツーリズムからの収入が24億リンギット（約5億米ドル）に達し、ホスピタリティや交通など他の産業に96億リンギット（約21億米ドル）の経済波及効果をもたらすと予想されています[3]。
3. 患者数の増加
マレーシア・ヘルスケア・トラベル・カウンシル（MHTC）は、2024年にさらなる患者数の増加を見込んでいます。特に、中国とインドからの患者の増加が期待されています[3]。
4. 特定分野の成長
腫瘍学分野は、2024年から2034年にかけて年平均成長率16.5%で成長し、2034年には22億4000万米ドルに達すると予測されています[4]。これは国内での生活様式の変化や人口の高齢化に伴うがん発症率の増加、それに伴うがん検診による早期発見と治療の需要の高まりに起因します。また、マレーシア政府による2021年から2025年にかけての「国家がん対策戦略計画」の策定で、国レベルでのがん治療の包括的なアプローチが推進されています。これにより、がん治療のインフラ整備や人材育成が進み、高度な治療を求めて海外から患者が訪れています。また、マレーシアでは、先進国と比較して比較的安価な治療を受けられるため、特に近隣諸国からのがん患者の流入が増加しています。
5. 男性患者の増加
男性患者が医療ツーリズム市場の大きな割合を占めると予想されており、2024年には市場の61.7%を占めると推定されています。特に中東や一部のアジア諸国では、男性が家族の健康に関する決定権を持つ傾向があり、自身の治療のために海外渡航を選択する可能性が高くなっています。また、ビジネス旅行と医療ツーリズムを組み合わせる男性が増加しており、これが男性患者の割合を押し上げています。このような状況を鑑みて、マレーシアの医療機関が男性向けの特定の治療や健康パッケージを積極的に宣伝していることも、男性患者の増加に寄与しています。
6. 長期的な成長
医療ツーリズム産業は、2028年までに51億米ドルの規模に成長すると予測されています。特に、美容外科分野が全体の約17%を占めると見込まれています[5]。
7. 政府の継続的支援
マレーシア政府は、医療ツーリズムを重要な経済成長分野として引き続き支援していく方針です。ビザ規制の緩和や医療機関への投資促進など、さらなる施策が期待されています[3]。
8. 技術革新
AI技術や遠隔医療の導入により、医療サービスの質と効率性がさらに向上することが期待されています。これにより、マレーシアの競争力がさらに高まる可能性があります。
マレーシアの医療ツーリズム産業は、COVID-19パンデミックの影響から急速に回復し、今後も着実な成長が期待されています。政府の強力な支援、高品質な医療サービス、コスト競争力などの強みを活かしつつ、新たな課題にも対応していくことで、アジア太平洋地域における医療ツーリズムのリーダーとしての地位をさらに強化していくでしょう。
<参考資料>
1) Alvarez & Marsal. (2024). Malaysia Medical Tourism report. Retrieved from https://www.alvarezandmarsal.com/sites/default/files/2024-04/Malaysia%20Medical%20Tourism%20report%20-%20revised%20-%20April%2024,%202024.pdf
2) Gopalan, N., Jamil, N. A., & Bakar, N. A. (2023). International medical Tourists’ expectations and behavioral intention towards Malaysian medical tourism. PLOS ONE, 18(9), e0290214. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0290214
3) Klijs, J., Ormond, M., Mainil, T., Peerlings, J., & Heijman, W. (2016). A state-level analysis of the economic impacts of medical tourism in Malaysia. Asian-Pacific Economic Literature, 30(1), 3-29. https://doi.org/10.1111/apel.12132
4) Statista. (2024). Number of medical tourists to Malaysia 2014-2023. Retrieved from https://www.statista.com/statistics/1013809/medical-tourists-numbers-malaysia/
5) Vietnam Plus. (2024). Malaysia expects higher revenue from health tourism in 2024. Retrieved from https://en.vietnamplus.vn/malaysia-expects-higher-revenue-from-health-tourism-in-2024-post279596.vnp
<引用サイト＞
[1] https://www.statista.com/statistics/1013809/medical-tourists-numbers-malaysia/
[2] https://en.wikipedia.org/wiki/Medical_tourism_in_Malaysia
[3] https://en.vietnamplus.vn/malaysia-expects-higher-revenue-from-health-tourism-in-2024-post279596.vnp
[4] https://www.factmr.com/report/malaysia-medical-tourism-market
[5] https://www.linkedin.com/pulse/future-medical-tourism-malaysia-51-billion-industry-jr-elliott-jr-
[6] https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11316254/
[7] https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10559008/
[8] https://www.alvarezandmarsal.com/sites/default/files/2024-04/Mala